時の権力者をからかった達磨

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そもそも、達磨大師が有名なんですね。この梁の武帝というのは、よほど禅の方にとってよくなかったのか、馬鹿にされている記述が残っています。その当時の権力者なんです。この人が、インドからえらい坊主が来たそうだが、どんなのか、呼んでこいといった。それが達磨さんだった。

武帝が、達磨さんにいちばん最初に聞いた質問は、「自分は、仏教を手厚くもてなしている。全国に寺を建てて、坊さんにお布施している。どんな功徳があるか」とこう聞いたら、「そんなものはない」といった。非常に素っ気ない。

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武帝は少々気を悪くしまして、「如何なるか、これ聖諦第一義」てなことをいう。いちばん仏教で大切な根本的な哲学はどういうことか、と、こう聞いたら、ガラーンとした広いホールみたいなものだ、何もない。「廓念無聖」といいました。聖なるものなんて一つもない。尊いものなんか何もありゃせん、といった。

そこで、武帝ははなはだ驚きまして、「朕に対するものは誰ぞ」とこういった。おれの前にいるお前は一体誰だと聞いたら達磨日く、知りません。「磨日く不識」

ここらへんが、僕はいちばん最初に碧巌録という本を大学生のとき読んで、痛快!って思ったですね。権力者をからかうぐらい楽しいことはない。そして、意かなわず、達磨はここを去り、西へ行き、少林寺にこもって面壁九年、九年間、壁に向かって坐禅しておった。

で、このあとどうなったかというと、記述はないですね。あと、達唐が、こういうふうにやって禅を広めたとか何とか、そういうのはない。思うに、達磨は最後に野たれ死にをしたんじゃないかと思う。

それから何年もたって、達磨の説いたことを、何人かの人が覚えておって、それを思い出して記述をしたとか、書いたとか、喧伝したとかで、はじめて達磨という人が浮かび上がってくる。そうすると、今度は達磨さんのいったことはこうだ、ああだ、というんで、いろんな意見が出始めて、公案というのができてくるわけですね。

どんな問答やパズルをやっても、最終的にまとまりがつかないとき、黙って、お前のいうことなんかつまらん、といった方が偉そうに見える。ここらへんが、ちょっと悪いところなんですよ。

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