禅の公案とは何か

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禅の公案というのは何かというと、まあ、要するに、なぞなぞだと思えばいい。どうしてそんななぞなぞを禅で使うかというと、あることを悟らせるヒント、そういうもので公案というものがあるといっても良いでしょう。

禅というと、必ず臨済もそれから曹洞も使う四行詩があります。      

  • 不立文字(ふりゅうもんじ)    
  • 教外別伝(きようげべつでん)    
  • 直指人心(じきしにんしん)    
  • 見性成仏(けんしょうじょうぶつ)

これは、公案の中でも、いちばんスタソダードなものといえるのじゃないかと思います。不立文字というのは、文字では、ほんとのことは伝わらんということをいっているわけです。

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ところが、この不立文字というのはどうして出てきたかというようないい方をすると、皮肉屋の見方をしますと、当時、中国では、仏教に対する弾圧が非常に強かった。

皇帝が仏教狩をやって、お寺を焼く、坊主は殺。坊さんは経典その他をすべて失って、山の中に逃げ込んだ。仕方なく、何もなくて仏教というものを体得するには、どうすればいいんだ、というので、本なしでやったのが始めだと、皮肉屋はそういっている。まあ、そういう事情もあったかも知れない。しかし、実際のところ、ある宇宙の真理というものは、どういうふうに言葉で説明しても、うまく説明できない。そういう一面があります。

有名な話なんですが、傅大士という人が、梁の武帝という人に呼ばれて、禅の話をしろといわれた。傅大士が壇上に上がってきて武帝の前にくると、いきなり指先で卓の上を一つ、ポンと打った。そして、さっさと降りていっちゃった。それで、「どうしたんだ」と武帝が横の人に聞いたら、「傅大士の講義は只今終わりました」。こういうような人を食ったところがある。禅のやり方というのは・・・。

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