アラヤ識の二面性

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アラヤ識論。私のいうアラヤ識は、大乗仏典にあるアラヤ識論をそのまま摘用したものではありません。実際のところ、このアラヤ識という言葉を、皆さんは私の本を読むまであまりご存じなかった人の方が多いと思う。ところが、明治の頃の廃仏毀釈が行われる以前は、かなりの人が知っていた言葉なんですね。

江戸時代のいろいろな人の著書を見ると、「第八識アラヤ」という言葉がだいぶ出てきます。第八識というのは、人間の意識の八番目ということなんです。

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この第八識アラヤというのが、たとえば白隠禅師の本にも出てくるし、浄土真宗の坊さんの研究書にも出てきているわけです。それが廃仏毀釈以来、これが全く聞かれなくなった。一部の仏教専門家しか知られなくなってしまったんですね。

なぜそういうふうになったのかということは、いろいろいえますけれど、実はこのアラヤ識というものを奈良の法隆寺の蔵の中に納まっている大乗起信論、摂大乗論、成唯識論、そういったようないろんな解説書があるんですが、それらはアラヤ識を悪者扱いしているんです。なぜ悪者扱いしているかというと、アラヤ識のおかげで人間、ひどい目にあっているんです。人間がいろいろな苦しみを起こすもとは、実にアラヤ識にある、というふうに見まして、これはいっそ民衆に知らせない方がいいという具合にして閉じ込めた、というのが大方の原因になっているんです。

ところで皆さん、それではアラヤ識というものは、単に人に不幸、災害をもたらすものだけなのか、というと決してそのようなことはない。例えていえば、このアラヤ識というのは非常に鋭い剃刀のような刃物なんですね。使い方を誤るとすなわち自分の身を傷つけるけれども、使い方をもし知ればたちまちのうちに魔法のごときカを得られることも間違いない。

いわゆる刃物として考えるならば、正宗のような名刀にすることもできれば、村正のような妖刀にすることもできる。自分の身を損なうこともできるわけで、また自分にいろいろな利益をもたらすための道具として、アラヤ識を使うこともできるのです。

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