だれにでも自己枠はある

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自己枠というのは、われわれが気づかずに「自分はこれくらいの力しかない」という具合に決めている深層意識下の、無意識的に決めているラインというもの、これが自己枠というものです。実は、人間が何かを望みながら、それが得られないというのには、いろいろな理由があります。

普段は、欲しがるという気持ち、欲望の火を燃え立たせないからいけないのだ、という話をしているわけです。しかし、きょうはもう一つの自分の願いを疎外する原因というものについて、それをテーマにして話していこうとおもいます。

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このような自己枠は、生理学的にあらゆる生物にあります。人間だけではないわけですね。 たとえば、回遊魚というぐるぐる回る魚、これを大きい水槽の中に入れて、真中にガラスの板を立てておく。すると、魚はぐ−っと回ってきて鼻がこつんとガラスの所にあたるわけですね。そこから戻って、また回ってきてこつんとあたる。そのうちにこのガラスを上げると、ガラスがないにもかかわらず、そこからユーターンしていってしまう。こういうものは、自分の頭の中にチャンネル設定されるわけです。

まだすごいのには、ノミなんていうのにもある。あんな小さなものにね。俗にノミの何とかとか、ノミの脳みそほどもないとかいろいろいいます。このノミの脳みその中にも自己限定枠というチャンネル設定がされている、という事実があるわけですね。

まず、ノミを高さ十センチメートルほどのガラスの箱に入れて、ふたをします。ノミは身長の約三千倍跳ねるそうですね。三千倍というと、どのぐらいか分かりませんが、少なくとも三十センチか四十センチは跳ねるわけです。

ところが、十センチメートル跳ねると、ノミは天井に頭ぶつけて落ちちゃいますから、何回もやっているうちにチャンネル設定されまして、このふたを取ってもノミは十センチしか跳ねなくなってしまうんです。それを、浅い五センチほどの箱にしますと、今度は五センチしか跳ねなくなる。だんだん下げていき、最後にノミが跳ねないような高さにしてしまうと、今度はほんとにノミは跳ねなくなって、歩くだけになっちゃうそうですね。どんな事をしても跳ねないで歩くだけだそうです。

今度は、ノミに非常に小さいセロファンで衣裳を作るそうですね。スカートかなんかはかせてね。そして、どうやってやるんでしょうかね、大きい天眼鏡かなにかを見ながらやるんでしょうけれど、けっこう衣裳つけて、小さな馬車作って引かせるのだそうです。これを「ノミのサーカス」というそうです。ヨーロッパの術角に行くとあるらしいです。これをやる方法が今のやり方なんです。今みたいにだんだん頭をこつんこつん、ぶつけながら下げていくとそうなるのだそうです。

私は昔、アメリカの西部劇を見ていて非常に不思議に思っていたことがありました。カウボーイが馬に乗って酒場の前に来る。酒場の前に、馬をつなぐ棒がありますね、横の棒。それで、「バー」といったのだそうですが、このバーにたずなをかける時、パッと投げるとクルクルと二、三回巻きつく、それで馬をほったらかしてカウボーイは店に入っていっちゃう。不思議だなあと思いましたね。馬がもし嫌がって引っ張ったりすると、直ぐそれはほどけて馬は逃げられる。なぜ、厳重に縛らないのか、とこう思ったんですね。

ところが、馬は小さい時から、縛られるともう逃げられないんだというふうになっていますから、引っ張らないわけです。サーカスの象もそうだそうですね。ものすごく大きいのに、小さい杭につながれて引っ張れば抜けるのに抜かない。なぜか。それは、象は小さいうちから、何回かやっても逃げられなかったから、というので、もう逃げないわけです。

さあ皆さん、自己枠というのは、こういうことなのですよ。だけど、自分は人間だから、そういうことにはならないだろう、とこういうふうに皆さん思われるかも知れませんが、どっこい、それがそうじゃないんですね。

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