昔の学問は「人間学」だった

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自分を売り込む。考えてみると、今日の自己啓発書の中にも、この言葉はよく出てきます。考えてみるとわれわれは、物を「買う」ようだけれども、それを贖う代償として(まあお金みたいなもの)自分を売るわけです。交換しているわけです。自分を売り込んで、欲しい物を手に入れるわけです。「いや、私はそんなことはしない」という人がいたら、それは間違いなんですね。正確な観察をしていないのです。

たとえば、ここに五歳の子供がいる。普段は非常にやんちゃであります。ところが、三時のおやつが欲しいから、いい子ぶるわけですね。自分を母親に売り込むわけですよ。そして、「いい子だいい子だ」というのでおやつをせしめます。

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ここに十人並みの顔をした美人でもない女性がいると、そのままの顔で恋人とデートするばかはいませんね。一生懸命、化粧をする。普段の自分の20%がたよけいきれいに見せる、なんてそんなけちなこと考えないで、30%はおろか、2倍3倍、ひどいのになると十倍ぐらいきれいに見えるのではないか、ということを期待して、これも売り込むわけです。

人間というものはこのように、全部自分を社会に売り込むことによって生きているのであり、それが生き甲斐、生きている意味なんですね。ですから、売りかたが下手であったり、内容性があまり大した商品でなかったりする場合もあるでしょうけれども、売り込みが下手な場合には、自分の欲しているものが手に入らない。

さあそこで、自分を売り込む、または、自分自身が何か欲しいものを手に入れる、ということを、ずっと昔からいろいろと考えた人がいた。かつて、二千年の昔で「学問」といえば、今日のような科学を指していないで、もっぱらそれは、人間を相手にした「人間学」でした。それは主として、どのようにして人と付き合うか、どのように自分を売り込むか、どのように人が自分から奪わないようにするか、つまり自分が損をしないようにするか、そういう学問が人間学であり、そういうことに没頭したのが約二千年の昔からあるわけです。

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