男は「自分を売る」のが渡世である

男は「自分を売る」のが渡世である

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『韓非子』に並ぶ本で、もう一冊『史記』という本が中国にありますね。これを書いたのは、司馬遷という人です。この司馬遷の司馬という名前を取ったのでしょうが、日本に司馬遼太郎という作家がいます。

僕はこの作家の書く物が非常に好きで、ほとんど読んでいますが、一番最初の頃、この人が書いた本に、『上方武士道』という短編集があった。その頃はまだあまり、司馬遼太郎という人は有名になっていなかったけれども、僕はこの『上方武士道』を読んだ時、実に驚きましたね。「この人は将来必ず大物になる。日本の文壇に名前を残す人だろう」と思っていたら、やはり、案に違わず今日の名声を築きました。

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その時の上方武士道の中で何に驚いたかというと、この中に「自分を売る男」というようなタイトルだったと思うのですけれども、大阪落城の時の団右衛門という豪傑のことが書いてある。僕は小さいころから、この団右衛門という名前が非常に変わった名前だったので、すぐに覚えたわけです。

ところで、ここに一人の男がいて、自分を大いに売り込もうとした。武士として売り込んで名声を上げ、地位を得ようと思った時に「一番、人の印象に残る言葉とは何だろう」と考え、名前を自分でつけようとした。「とにかく一番衝撃を与えるのは爆発音だ」と考えたのですね。それで、「バン」といって、「ダン」というのもいいというので、あとは衛門でも左衛門でも何でもいいから、とにかく「バン」と「ダン」でいこうと考えた。恐るべき発想ですね。

この時に司馬遼太郎がこういうのですね。「男というものは、自分を売るのが渡世である。自分を売るべくして、その一生を過ごすのだ。男が自分の才能を世に認められずそのまま一生を過ごすとすると、これに勝る悲しみはあるまい」と彼独自の文体で書いてあります。

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